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コラム2008年7月-2

気心の気と医療について‐気とは何だろう?
気はあると思いますか、無いと思いますか‐

平成20年7月1日

福岡大学名誉教授 前医学部歯科口腔外科教授
博愛病院 非常勤勤務   都 温彦

冬至梅

年、平成19年の秋、親しい友人である先輩と私達2組の夫婦は島根県の安来(やすぎ)にある足立美術館へバスツアーで出掛けました。広い美しい庭園にも感動しましたが、美術館に展示された絵を鑑賞しているうちに横山大観の富士山の絵を見た瞬間、厳然とした揺ぎない不動の美しい姿に衝撃と感動を受けました。正に気に打たれるとは、このことで、それから勇気と元気をもらいました。絵の題は「神国日本」とありました。

が国にとって第二次世界大戦の戦局が厳しい状況になった折に、軍関係の学校当局からの依頼によって画かれたものでした。大観が好んで画いた富士山、それも同じ所から同じ場所の富士山であっても、描く富士山に対する画家のテーマによって表される気が違うことが分かりました。このようなことから“気”について関心を持つようになったと思います。

のことについて辞書を引いてみると山のように「気」を使った熟語が記載されています。然し、学問や科学的研究面では殆ど見当たりません。「気」は昔から日常的経験や会話などで使われる身近な言葉であり、又あまりにも広く大きな意味をもっているので学問の対象になりにくいのかも知れません。しかし、同じように眼にすることは出来ない心理や精神内容については、言葉や行動、身体症状に表われるので医学や心理学の対象として科学的に捉えやすい面があると思います。

回は“気”について医療との関係も含めて若干、経験したり、考えたことを述べてみたいと思います。病にある患者さんの気と医療者の気との交流によって、特に寝たきりで、ものいわぬ患者さんに少しでも人間としての生きる気が与えられることです。

-気のことに関して-

の宇宙や世界に気はあるのでしょうか。あるといえばあるし、無いといえば無いともいえます。“気”をしっかりもってとか、試合の前に手で頬を叩いたり、背中やお尻を叩いたり、掛け声を発して気合を入れたり、霊気や人間技を超越した芸術に触れて気に打たれるような場合や母親らしい母性の気立てを感じる時、そして何らかの気配を感じて、そのことが当たった時などは気はあるのだと思ったりします。然し、当たらなかった場合には、幽霊の正体みたり枯尾花のように気のせいとして片付けられることもあります。気は電波みたいに見る事は出来なくても電波の働きによって、姿や形として影響を与えるようなもので、人や動物が持っている感性によって気配を感じる存在であると思います。気の発生は、有名な画家による秀でた絵画の場合、絵の題材と題材に対する理解や解釈、画家の技能そして画家の哲学やイメージが一体となって湧いてくるものだと思います。そして鑑賞者の気の受け皿である感性あるいは気心を打つのではないかと思います。気配に対する気心が無ければ、ある人は気を感じても、その人は“気”や感動を覚えない場合もあるでしょう。

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